自分が子どものとき、親を嫌っている時期、ありませんでしたか?
多かれ少なかれ、誰でも必ずあると思います。また、それが子どもの成長での通過点でもあります。
ですが、それが大人になってからも続いているとなるとどうでしょうか?
また、親になった自分自身、子どもの頃に嫌だと感じていた親の行動と同じことをしていないでしょうか?
今回の記事は、子どもに嫌われる母親の行動を集めてみました。
どうか、自分のことかも…と思いながら読んでみてください。それが今後の自分の行動のフックになると思うからです。
なぜ、「自分ごと」として読むとよいのか?
私は、20年以上にわたりデザイナーとして仕事をしてきました。
特に紙媒体の制作物は、一文字でも間違いに気づかずに入稿してしまい何万部と印刷をしてしまうと、大きな損害をだしてしまいます。
その防止のためにに校正というチェック作業が2重3重にも行われています。
私がその作業を行う上で、間違いを見つけやすくするための見かたがあります。(完全に個人的意見ですが^_^)
それは「間違いが必ずある」と思ってチェックすることです。
「ある」と思ってみるのと「ないはず」と思ってみるのでは意識の向け方が変わってきます。
これは、紛失物を探すときにも役に立つ考え方です。
「必ずある」と思ってみると目を皿のようにして見ることになります。
脳が「ある」と思っているので意識が集中するという感覚です。
ですので、この記事も「自分に当てはまる」と思って読んで見ることをおすすめします。
自分はこんなことを「しているはずがない」と思ってみると、自分への判断が甘くなってしまいます。
自分にこんな面もあるかもしれない、と思うと自分への気付きとなるはずです。
特に今現在、子どもとの関係が「なんとなくギクシャクしている」と感じるならばなおさらです。
この記事が子どもとの関係の気づきになってもらえると幸いです。
嫌われる母親の特徴とその行動
兄弟姉妹、周囲の子どもと比較される、差別される
お兄ちゃん(お姉ちゃん)は、塾にいかなくても自分で勉強して成績もよかったのに…
弟(妹)は、友達もたくさんいて楽しそうに遊んでいるのに…
こういったようなことを、子ども本人を目の前にしてつぶやいたり態度にだしたりしていませんか?
兄弟姉妹間で愛情に差があると感じさせる場合、子どもは不平等感はもちろんのこと「自分は大切にされていない」という思いを抱くことがあります。
自分の個性が認められていない、母親が臨む子どもでないと愛されないという気持ちを抱くようになります。
「ありのままの自分であってはいけない」、そういったビリーフが芽生えます。
母親の偏った表現は、兄弟(姉妹)間に緊張を生み出し、家庭内にいるだけで疎外感を感じる子どもは常にストレスを感じるようになります。
また、母親に対しても信頼感が損なわれ反抗的になったり、逆に母親の関心を得たいがために必要以上に良い子になろうとする行動をとることが考えられます。
そういったことが長年続くと、最終的にはそういった言動をした母親へ距離をおくようになります。
兄弟間のみではなく、近所の子、子どもの友達の名前の場合でも「比べられている」という点で子どもに精神的苦痛を与えます。
子どもの話を聞かない、攻撃をする
子どもの話を聞かないことは、存在を否定されたと感じます。
母親が子供に対して人格を否定するような発言や暴言を吐いたりすると、子どもは深い傷を負います。
言葉の暴力は身体的な暴力と同様に深刻な心理的ダメージを与えます。
特に、人格を否定される言葉は、例えば、「口ばっかり」「お前はいつもそうだ」「お前には無理だ」「お前にできるわけがない」「信用できない」「どうせダメだな」「ずる」「卑怯者」「バカ」「なさけない」などなど。挙げればきりがありません。
このようなことを言われた子どもは「自分は存在してはいけない」と感じます。
たとえ1度のことでも、状況によっては子どもに一生、忘れられない言葉になる可能性もあります。
また、体罰は言わずもがなです。
いずれの場合でも子どもは恐怖心とともに反感や不信感をもち、結果、「愛着を感じては行けない」ビリーフとなる可能性があります。
また、親の行動を真似てしまい、将来的には他社に対しても言葉による暴力のみならず、攻撃性や反社会的行動を選択するリスクが高まります。
極度の心配性、過干渉
母親が子どものあらゆる決定に介入すことは過干渉といえます。
その先には、子どもの行動や思考を自分の思うように束縛・支配・コントロールしたいという考えがあります。
また、母親自身が安心したいために、子どもの行動に逐一干渉したり報告を求めたりすることは極度の心配性とも言えます。
こちらも、表面的には子どものためといいつつ、母親自身のための行動と言えます。
子どもの自由や自己決定の機会を奪われることで、子どもは窮屈さを感じます。
これら母親の行動は、子どもが自立を学ぶ機会を奪い、自己効力感の欠如や自尊心の低下を引き起こす可能性があります。
また、子どもが成長するにつれて母親への反感が強まり、うっとうしさや反発心を生み出します。
将来的に、人間関係の構築においても相手への依存的な行動や子どもっぽい態度を取る傾向が強くなります。
「おとなになってはいけない」「考えてはいけない」「自由に行動してはいけない(自分の人生を生きてはいけない)」「親からはなれてはいけない」というビリーフをもちやすくなります。
自分で問題を解決する能力にや自己決定に自信を持てず、社会的自立が難しくなるかもしれません。
子どもの好きなこと・モノ・人を批判する
子どもが好きな漫画・ゲーム・良く遊ぶ友達を何気なく批判していませんか?
母親が子どもの選択や好きなこと、モノ・いつも遊ぶ友達に対して批判的な態度を取ると、子どもは自己評価を下げ、自信を失う可能性があります。
また、母親に対して不信感や理解してもらえないとあきらめて、本心を隠すようにもなりそうです。
そういった批判は、子どもの心に「自分は価値がない」という感情を植え付け、自己肯定感の低下につながることがあります。
母親から、自分の好きな物事、人に対する理解しようとしてくれる姿勢があれば子どもは思い切り自分の好きなことに夢中になれます。
母親の理解できない物事に興味を示すこともあるかもしれません。
眉をひそめるようなものだとしても頭ごなしに批判はNGだと思います。
まずそれが人に不快を与える可能性がある、倫理的に理解されることが難しい、など子どもの話を聴きつつ大人としての意見を伝えることがよいかと思います。
子どもを1人の人として、建設的なフィードバックが大切です
批判ではなく、改善の方法を一緒に考え、子どもの努力や成長を認める姿勢を持つことが、健全な関係を築く鍵となります。
母親自身の夢や理想を押し付けられる
母親自身の小さい頃の夢やなりたかったことを子どもがすんなり答えられるなら、それは要注意かもしれません。
子どもに自分の叶えたかった姿を「これからどんなことでもできる」という言葉とともに誘導していませんか?
母親が子どもに対して高い期待をし、それを叶えるために子どもに過度なプレッシャーをかけているときです。
「あなたのためを思って」「将来、困らないから」「」
その親の願いを叶えられなかった時、子どもは自分自身に失望感や不満を感じることがあります。
母親が、子ども自身を見ておらず、自分の理想を追いかけている状態に気づいているので、子どもは悲しくしんどくなるのです。
子どもは親の期待に応えようと頑張りますが、過度なプレッシャーは常にストレスがかかり、自己肯定感が低下する原因になります。
子どもは「十分ではない」という感情に苦しみ、自分に対して否定的な見方をするようになります。
将来的に、過剰な自己批判や完璧主義が形成される可能性があります。
心理学の本を読むと、他責思考になる子どもも多い印象です。
親の言いなりになっていたけど、失敗して自分はそこから立ち直れない。全部親のせいだ!みたいな。
小さい頃からプレッシャーを描けられたために、子ども自身の内発的動機に気付けなくなり「やりたいこと」がわからなくなることもありそうです。
また、母親に対する不満や抵抗感が高まり、親子関係の断絶が進むこともあります。
母親が精神的に自立していない
父親や祖父母の愚痴、母自身の友だちや子どもの友だちの悪口をいったりしていませんか?
子どもは親の手助けを常にしたいと考えています。
時々ならば、母親のちょっとした愚痴や悪口を聴いてあげようとも思うでしょう。
けれども、日常的に母親が否定的な言葉や態度で子どもと接したり、子どもの知り合いの悪口や陰口を言っている場合、子どもから母親への信頼は少しずつ失っています。
その母親の行動は子どもから自己肯定感を奪い、子どもは母親とのコミュニケーションを避けるようになります。
常に否定されたりその場にいない人の愚痴や悪口を聞かされると、子どもは「自分は価値がない」「自分も陰では悪口を言われる」と感じるようになります。
また、母親への信頼関係が損なわれ、家庭内での会話が減少します。
こうなってしまった親子関係を良くするには、子どもを尊重する姿勢を持ち続けることが重要です。
つい話したくなる愚痴や悪口は絶対に子どもにしてはいけません。これ絶対です。
子ども自身や周囲への批判の言葉よりも励ましや感謝の言葉を増やすことで、親子関係が改善します。
感情的になりやすく、それを子どもにぶつける
感情的な大人を見ると子どもの目線からは「大人」と認識しないようです。
なぜならば、その行動が子どもと同じだからです。
母親が情緒不安定で感情の起伏が激しい場合、幼い子どもは不安や恐怖を感じやすくなります。
情緒不安定な大人が周囲にいる環境は、一貫性や安心感を子どもに与えません。
特にこれまで上機嫌だった母親の機嫌が急に怒り怒鳴られるようなことが日常的だと、子どもは常に緊張感を抱き、母親の顔色をみて過ごすことになります。
こういった環境にいる子どもは、情緒発達に重大な影響を与えます。つまりは感情を抑え込む傾向が強くなります。
長期的には、情緒不安定な大人になり、「人に近づいてはいけない」というビリーフを持ちやすくなり、他者との信頼関係を築くのが難しくなります。
感情を感じにくいので、自分の心の声にも鈍感になります。
ダブルバインド
親が子どもに対して相反するメッセージを同時に伝えることで、子どもがどのように行動しても間違った選択をしたと感じるようなコミュニケーションの状態を指します。
この状況に置かれた子どもは、どう反応しても責められるため、非常に混乱し、心理的なストレスを強く受けることになります。
「好きな仕事につきなさい」↔実際に仕事につく「そんな仕事に価値がない」
「外に遊びに行っていいよ」↔実際に外出する「なんでそんなことをするの?」
このような矛盾したメッセージを頻繁に受け取る子どもは、常に「正解がない」混乱状態に陥り、何をしてもどうせ失敗や怒りを招くだろうという感覚を持つようになります。
これにより、子どもは次第に他者とのコミュニケーションにも過剰に警戒し、自己主張や感情表現を避けるようになります。
また、ダブルバインドが続くと子どもは日常的に緊張状態で過ごすことになり心穏やかにすごせなくなります。
感情面で常に不安定となり、これが長期的に続くと、「人を信用してはいけない」というビリーフを持ちやすくなり、対人不信や自己否定の感情、自尊心の低下につながります。
特に親密な関係において、相手の意図や感情を誤解することが多くなり、健全な人間関係を築くことが難しくなる場合があります。
自分の感情や欲求を抑え込みすぎることで心理的な問題に発展するリスクも考えられます。
無条件の愛をもらえなかった
気持ちを汲み取ってもらえなかった、寄り添ってもらえなかった。
親の期待通りの子だったら褒めてもらえる、それ以外はがっかりされる。
ハグや身体接触を避けられる経験。
母親が子どもに対して感情的なサポートや愛情表現、スキンシップが不足している状態が続くと、子どもは感情的に不安定になりがちです。
母親からの無条件の愛情は、子どもが自分の価値を認識し、安定した自己を築くために必要不可欠です。
無条件と言っても難しいことではなく「あなたが生きてここにいるだけでOK」という気持ちを全面に出すだけです。
この愛情が不足したり、条件付きの愛情しかもらえない子どもは他者に対する信頼感や親密さを築くことが困難になる可能性があります。
感情面での孤立感や疎外感を感じ、「重要な存在であってはいけない」「(何かができる自分には価値があるが、)ありのままの自分には価値がない」というビリーフをもちやすくなります。
長期的には対人関係における不安や回避的な行動が生じることがあります。
また、常に心理的に寄り添ってもらえず、自分を肯定してもらえない環境は、母親への不信感や嫌悪感を生み出す可能性があります。
姉兄が小さい兄弟姉妹、祖父母の世話をしなければいけなかった
ヤングケアラーという言葉をご存知でしょうか?
本来、大人が行わなければいけない家事・育児・労働などをその大人(多くは家族)に変わって日常的におこなっている子どものことです。
その子どもは、友人関係に費やす時間や学校行事に参加する時間、部活動への参加等の子どもらしい活動への時間を引き換えにしている状態になっています。
家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められるこども・若者をヤングケアラーと定義しており、国や地方公共団体などが各種支援に努めるべき対象としています。
ヤングケアラーのこと-こども家庭庁
ヤングケアラーの判断基準のひとつは、家族の世話に費やす時間です。たとえば、平日1日あたりの平均時間は、小学6年生で2.9時間、中学2年生で4.0時間、全日制高校2年生で3.8時間です。また、責任や負荷の重さにより子どもの権利が侵害されている可能性がある場合もヤングケアラーと言えるでしょう。
子どものころの時間を、家族のために使わざるを得なかった子どもは自分を犠牲にされたという感情をもつことも不思議ではありません。
「子どもであってはいけない」というビリーフをもちやすくなり、自分らしさを出せず(わからずに)、人に甘えることや人に頼ることができなくなります。
自分の気持ちを我慢して、他人(の気持ち)を優先しようとしてしまい、そのうちにどこにいてもなぜかわからないけど生きづらいと感じるようになる可能性があります。
どうすれば、子どもから嫌われない行動ができる?
これは、私の捉え方となりますが、子どもがどんなに小さいときでも1人の人間として尊重すること、が大切なのでは?と思います。
たとえお腹の中で胎児という存在からでも耳で母親の周りの声を聴いています。
意識にはのぼらなくても、すべての記憶は脳の中に保存されています。
潜在意識は、そのことを覚えていると捉えたほうが良さそうです。
これは私の例ですが、生まれてすぐに「どうせ女だろ」と私を抱っこしている母親に言ったそうです。
その後の大きくなるにつれ、私は理由もわからず「女であってはいけない」という意識があり、それこそ態度も服装も男の子として意識していました。
それほど親からの何気ない態度や言葉は子どもに、プラスにもマイナスにも大きな影響を与えます。
完璧な親などいません。はっきり言ってしまうと、親のほとんどが「プチ毒親」になっている可能性があるのではないでしょうか。
親が、思わず間違った言葉や態度を取ってしまったとしても、子どもの心の底に「私は愛されている」という感覚を持っているなら大丈夫だと思うのです。
子どもが成人した私個人の子育て経験から振り返って思うことがあります。
子育てにたったひとつ大切なことをあげるとすると「あなたが生まれて生きててくれるだけで私はめっちゃ幸せ!」を表現することだと思います。
そして、子どもがある程度大きくなってきた時の子育ての距離感としては、親は子どもの「ファン」であればよいのでは?と思います。
いわゆる「推し」です。
見返りを求めない、ただ愛して頑張って欲しくて、その頑張りが続いてほしいならば資金を投資する。
彼らの頑張っている姿を見るだけで満足。
ただし、永遠にファンであるのではなく期間限定。
この期間は家族によりそれぞれですが、子どもと約束した期間まで、です。
うちの場合は「大学卒業まで」。
自分が40数年間生きづらさに悩みつつ、途中、子どもを授かりシングルマザーになり、必死に育ててきて得た結論です。
以上、参考になれば幸いです!