日々、子育て・家事・育児・仕事で自分の時間も取れずにてんてこ舞い。
そ・れ・な・の・に。
母の日でさえも、日常と全く同じ通常運行。
自分が誕生日の日さえ、日常と全く同じ通常運行。
自分が病気になった時さえ・・・以下同文。
大なり小なり、こういう経験をしたことが世の中の多くの母親においてはかなりの確率であるはず。
そして私の経験上、子どもが大きくなるにつれこの傾向が高くなります。
小さい頃は、「母の日」といえば、学校や周囲の大人が「気を使ってくれて」なんらかの行動を子どもに促してくれたものです。
プレゼントを学校で作ったり手紙を書いたり、ね。
そして何より、子どもの素直な心がそうさせていましたよね。
けれどもそれは小学校まで。
子どもが大きくなり、反抗期や思春期を迎え、自分の世界を作ってゆくにつれ、そのような学校行事的なイベントは忘れ去られます。
この動画を見て涙が出るほど共感した人も多いハズ。
この記事では、家族が家庭の中で母親の存在を意識しない理由を考えてみました。
ところどころ、自分で書いている内容に対する私からのツッコミや心の叫びが漏れていますが、そのあたりは御愛嬌。
そして、その事によって心がゆれる母親の気持ちへの対処法も書いてみました。
少しでも自分のご機嫌を自分で取れるような、そんな記事になっていれば幸いです。
どうして母親に気配りをしない?
そもそも母親が嫌い
いきなり胸に刺さる言葉だと思います。
ですが、これまでの自分の子どもへの接し方を振り返ってみて以下のことが思い当たるようだったら、一度深呼吸しましょう。
子どもから嫌われる母親の行動10個、もしかして…と思いながら読むことをおすすめ
自分が子どものとき、親を嫌っている時期、ありませんでしたか? 多かれ少なかれ、誰でも必ずあると思います。また、それが子どもの成長での通過点でもあります。 ですが、それが大人になってからも続いているとなるとどうでしょうか? また、親になった自分自身、子どもの頃に嫌だと感じていた親の行動と同じことをしていないでしょうか? 今回の記事は、子どもに嫌われる母親の行動を集めてみました。 どうか、自分のことかも…と思いながら読んでみてください。それが今後の自分の行動のフックになると思うからです。 なぜ、「自分ごと」と ...
過去と他人は変えられませんが、自分の考えや行動はたった今から変えることができます。
過去と他人は変えられませんが、過去に対する自分の認識は変えることができます。
過去と他人は変えられませんが、自分が変わることで周囲の人にも変化が生じる可能性があります。
忙しさやストレス、家族の個々の問題
家族がそれぞれの生活や仕事や人間関係に気を取られていると、母親への感謝や気配りを忘れてしまうでしょう。
また、個人的な問題や悩みを抱えている場合も同様です。
家族は無意識であれ意識的であれ、母親の愛情やサポート、家事全般をしてくれることが物心ついたときからあるがゆえに、空気のようにあるものと思ってしまうのでしょう。
それは、母親の努力の賜物であるにも関わらず。
別の見かたをすれば、甘えることができて自分のことに集中できる場所が、家族にある状態と言えます。
子育て中であるならば子どもの安心安全を整えた、とても良い例として挙げられると思いますが、成人年齢に近づいた子どもとなると話は変わってきます。
幼い頃から、なにかあれば声をかけてもらえ、時間がくると当たり前のように食事が用意され、家族共有の部屋は掃除されている。
洗濯物も出せば洗われている状況なので当然かもしれません。
実家にいるひとりの大人として、身体的能力や知力があるのに、幼い頃と同じ「やってもらっている」環境に疑問を感じなくてもよいのか?
そのあたりに家族が気づいているかが焦点になるのではないかなと思います。
役割の固定観念とコミュニケーション不足
母親が常に家庭の中で家族を支える存在であるという固定観念がある場合があります。
この考え方は高度成長世代の、家で女性が家事育児を行う専業主婦が多かった時代からです。
これには、子ども自身、物心がついたときから母親が家のことをすべてしている。
それが自分に役割分担される経験もほとんどない。
母親が自分の慣れたやり方で手早く終わらせてしまうので、家族が手を貸そうにも逆に邪魔になってしまいそうに感じてしまっている。
家族からは、このように見られている可能性もあると思います。
母親が助けを必要としていることは、母親自ら何度も訴えない限り家族には理解されない可能性が大きいです。
あるいは、日常的な会話の中で話していても、母親の気持ちや家族に対する期待がうまく伝わっていないことも考えられます。
もしかしたら、母親が常に強く、普段から助けを必要と表現する発信をしていないこともあります。
いずれの場合も、母親の家族に対する自己表現の方法が不得手なことが原因となっているのかもしれません。
人は自己表現の仕方が3パターンあります。
以下の記事で自分がどのパターンに当てはまるのか、気づくことが大切です。
感謝を表現する方法がわからない
家族が感謝の気持ちは持っているものの、どのようにそれを表現するべきか分からない場合があります。
子どもが中高生であるならば、一般的には思春期の真っ最中。
反抗したい時期でもあるので、なおさら言葉や態度に出すのは気恥ずかしく抵抗が強いのかもしれません。
家族の中で、普段からが肯定的なコミュニケーションが行き交う環境でない場合も、子どもからの感謝の言葉を受け取ることは難しいかもしれません。
台所へ食べた後の食器を運ぶたびに「運んでくれてありがとう」
洗濯物を洗い場へ置くだけでも「おお、出してくれてありがとう」
出したものを元の位置に戻した時にも「前言ったことを守ってくれてありがとう」
こういった肯定的なコミュニケーションが取れているかと振り返る機会かもしれません。
子どもの年齢が成人に近づき、頭では「できて当たり前でしょ」と思ってしまいがちです。
ですが、ここで「ありがとう」「とても助かる」「今回忘れてたみたいだけど次回はよろしくね」などの肯定的なコミュニケーションを根強く続けてゆく。
大きくなったとはいえ、今後の社会に出た時に役に立つコミュニケーション方法の基礎を根気よく教えている、という意識がよいかもしれませんね。
最後の最後まで子育てが続いているなあ(ため息)と感じます。
母親に対する過度の信頼
家族は、母親が何があっても自分で対処できると信じてしまい、手助けを怠ることがあります。
たとえ病気で看病が必要なほど重症になっていても、家族は、自分たちがなにか行動を起こさずともそのうち良くなっているだろうと楽観視(なにかあってほしくない、の裏返し)しています。
小さい子どもにとって、親がいなくなることは最大の恐怖の一つです。
それは、自分の生命の危機に関連することもあり、また、人生の経験値が少ないこともあって親の体調不良にはとても敏感だったはずです。
それも年月を経て、子どもの経験値がふえるにつれ「以前大丈夫だったから、今回もなんともないだろう」という予測がたてられるのでしょう。
このような、母親への「強さ」への過度な信頼があったりすると、体調が悪いと見た目でわかっていても何もしない家族ができてしまいます。
物理的には一人でなんでも対処できるものと考え、精神的には何に対しても動じないという、解釈をしているのだと思います。んなわけあるかい。
習慣の欠如
特にイベントごとに、感謝や祝福の習慣が家庭内で根付いていないことが原因で、自然と疎かになってしまうことがあります。
おおよその子どもは、生まれてからずっと自分の誕生日がくると周囲の人から「お祝い」をされてきた経験ある人が多いと思います。
母親としては、子どものイベントは欠かさずとも、自分のことに関しては、自分でセッテイングする人は少ないでしょう。
しかも、お祝いの品や食事の準備、後片付けまで主役の本人が行う。。。なにか違うな?と感じてしまうのもムリはありません。
それならば、周囲にいる大人(多くは父親)の出番ですが、その大人が誕生日だけでなく、各種イベントを好まない(意識しない)タイプだった場合、母親に関するイベントは行われない可能性が高くなります。
そのため、生まれたときから母親関連のイベントの日にお祝いやプレゼントをする習慣化がなければ、家族は何もしなくて良い1日と認識しているのかもしれません。
母の日や母の誕生日など、子どもは意識すらしない残念なこともあるようです。
それならばどうするか?
これまでの一瞬一瞬の積み重ねが今になっています。
家族から気にかけてもらいたい!と思うのであれば、たった今から行動や言動を変えてゆくことがおすすめです。
ですが、それでは今日の自分の誕生日に間に合わない。
世間は母の日とプロモーションを打っているのに…!
それならばどうするか?
自分自身で自分のご機嫌をとることです。
周囲がどんな状態になっても、どんな人が周りにいようとも、どんなあなたでも、常にあなたのそばにいてくれる人が確実に1人以上いることをご存知ですか?
そう、あなた自身です。
期待値の調整
その期待値の高さは誰の価値観かを深堀りしてみるのもよいかと思います。
例えば、マスコミやSNSマーケティングの影響をうけていませんか?
テレビやネットで時々みかける「子どもから親への感謝あふれるドキュメンタリー」。
夢のために頑張る子どもを陰ながらに支え続け、目標を叶えた子どもから「母親が支えてくれたから今の自分がいる」と感動の手紙をもらう。
母の日に近くなると、巷にあふれる「母の日に感謝の気持を」の広告。
このような、前提条件が整わない、表面的な情報に惑わされないことが大切です。
子どもからの感謝の気持ちにフォーカスされるのは、そのほうが視聴率が取れるから。
母の日が盛り上がるのは、販売力が上がるから。
この情報を見ることによって「誰が得するのか?」という視点を持つとあふれる情報に惑わされることが少なくなります。
家族からの特別な反応を過度に期待しないようにします。
一方で、家庭内での家事育児をしている選択をしているのは自分です。
誰もやらないから私がやらなければ家の中が回らない!というのは、他責思考に近い考え方ともいえます。
家族内で「家事を手伝ってほしい」という宣言をした後でも家族が「やっぱりやらない」からと言って「自分がやらなきゃ」と元に戻ってしまうのは、自分がそのほうが楽だからではないでしょうか?
今まで自分が取り仕切ってきた家事育児全般を手放すことが怖い、自分のこれまでの存在価値がなんだったのか、という気持ちもありませんか?
そして、自分の思う通りに家事育児をしてほしい、自分のサポートをしてほしい、というように家族をコントロールしようとしている気持ちがある場合は自分自身が変わる覚悟が必要と思います。
自己自愛ケア、いわゆる自分のご機嫌は自分でとる
母親自身が自分の心身のリフレッシュを図るために、自分のための時間を作ることを定期的にとりいれることも必要です。
子どもが自分の思い通りに手伝ってくれたり行動してくれることは、お互いの将来的になんのメリットもありません。
ただ、その瞬間、母親の自分が気持ち良いだけ。
人に依存する自分のご機嫌取りは、相手も自分も幸せにしません。
これまでは、仕事子育て家事とバタバタな毎日で自分ひとりの時間も思うようにいかなかったと思います。
子どもが大きくなり手もかからなくなってようやく願った自分の時間です。
自分のことを自分で幸せにする、と決断してより自分のための行動してゆきましょう。
感謝の肯定的コミュニケーション
家族に対して、自分から感謝の気持ちを伝えたり、期待していることを明確に話すことです。
家族が日常的にしてくれる小さなことに目を向け、感謝することで気持ちを軽くすることができます。
やってもらって当然という気持ちではなく、どんな些細なことでも「ありがとう」と言うようにする。
「ありがとう」という言葉は、「有り難し」が語源だそうです。
室町時代以前は、人に対して使わず、神様や仏様が行ってくれた出来事にたいして「有り難いこと」ととして感謝の気持ちを示したそうです。
そう、いつでもどんなときでも人からやってもらったことは「有り難し」だと考えると、自分の世界がちょっと変わって見えるかもです。
他のサポートネットワークの活用
家事代行サービスなどの家庭外のサポートネットワークを活用して、自分を支えてもらう機会を作ることもおすすめです。
家事はそれ自体、金銭のやり取りがしっかりと成り立つ「労働」であり「仕事」なのです。
ではなければ、家事代行サービスが増えてきていません。
母親の人生の時間は「無料」なのではありません。
仮に、あなたが働いている場合、年収から自分の時給を出してみてください。
家事代行サービスなんて、そんな贅沢…とためらってしまう人も多いと思います。
そんな時は、自分の時給と家事代行サービスの価格を比較して遜色ないのであればぜひ、利用してみてください。
初回はサービス価格も多いので、自分の時給分を家事代行に充てたと考えてみてはいかがでしょうか。
根本的な解決にはなりませんが、限界に達するまで家事を行う必要はありません。
これをきっかけに家族との話し合いのきっかけにしても良いと思います。
感情を書き出し、ストレスを解消する
がっかりした気持ちや悔しい気持ち、もやもやする感情を抱いたときは、エクスプレッシブ・ライティングがおすすめです。
その方法は、とてもシンプル。4 日間連続して、1 日あたり最低 20 分間書くというものです。
心にある感情や思ったことを詳細にノートになぐり書きすることによって、ストレス軽減・免疫力のアップ・幸せな気分・不安の軽減などさまざまな効果があるというものです。
この効果は、多くのエビデンスがで証明されており、お金のかからないストレス解消法の一つです。
書き方のポイントはこんな感じ
- 句読点、単語、文法、誤字、脱字に注意を払わず、国語で習ったような正しい文章でなくてよい。
- 書くことがなくなったら、線を引いたりすでに書いたことを繰り返してもよい。
- 人に見せる必要はなく、読まれる不安があるのならば後日破って捨てても良いので、自分のためだけに書く。
- ある出来事について書くときなど、気持ちの限界を超えてしまうと感じたら、書くのをやめる。
- 特に最初の 1 日かそこらは、文章を書いた後に一時的に少し悲しくなったり落ち込んだりするかもしれませんが、通常、 1 時間か 2 時間でおちつきます。
さらに、感情を書くときには、その感情をどんな風に感じたのかも事細かく書くとよいとのことです。
例えば、「むかついた」という感情を感じた時「これまでの積み重ねが一気に思い浮かんで爆発したようなむかつき方だった」「はあ、またか、というあきらめまじりのむかつき方だった」などです。
さらに、そういえば、過去に同じような場面で同じような感情を感じたことがあった、などさらなる深い自己洞察ができると良いと思います。
今のこの現状への感じ方が、子どもの頃に感じていた感情と関係しているのかを深掘ってゆくことは、今後必ず役に立つと思います。
家族それぞれの価値観を認め、境界線を設定する
「家族」という言葉に家庭内の人間関係に甘えが生じていないでしょうか?
ずっと同じ家で数十年も過ごしてきていても、ひとりひとり、違う価値観を持った人の集まりです。
特に子どもが大きくなるとその色合いは濃くなると思います。
生きてく中で色々な人間関係や出来事、学びを体験する中で価値観も方向性も違ってくるのが当たり前です。
家族という枠の中にいるとどうしても同じ価値観をもつと考えてしまいがちですが、深ぼってゆくと全く違うものを持っていることに気がつきます。
例えば、母親である私は日々神社参拝を大切にしていますが、幼い頃からその姿を見ているはずの子どもたちは年末年始でさえ参拝に上がることはありません。
子どもたちは、私が思う「日々参拝に上がることが大切だ」という価値観を今の段階では自分の中に取り入れていないということになります。
十数年という長い年月、特に人が一番影響をうけながら人格を構成する期間をともにしているはずの自分の子どもでさえ、価値観は一致しないのだと最近は特に痛感します。
アサーティブコミュニケーションで自分の気持ちを家族に伝える
定期的に家族と話し合い、自分の気持ちやニーズを共有することで、理解を深める努力は必要だと思います。
大切なのは自分の自己表現の方法を自覚することと、その伝え方を学ぶことです。
日本固有の「察する」「空気を読む」「わかってくれるはず」のコミュニケーションは家族内で「甘え」を助長するだけです。
日本に導入されたアサーティブ・コミュニケーションの概念はアメリカの自己主張理論が翻訳され、1970年代に日本の臨床心理学やカウンセリングに取り入れられました。
最初は、心理療法士やカウンセラーを中心に、患者との対話に活用されるようになりました。
その後、教育や企業研修の一環としても取り入れられ、特に、職場におけるメンタルヘルスの向上や女性の自己主張の促進をテーマにした研究が進みました。
2010年代以降の現代では、アサーティブ・コミュニケーションが職場や教育現場だけでなく、家庭内コミュニケーションや子育てにも応用されるようになり、幅広い場面で取り入れられています。
多くの論文・研究が進められてエビデンスもあるアサーティブコミュニケーションを家庭内に用いることにより、「家族だからわかってくれるはず」というコミュニケーションからの脱出を図りましょう。
アサーティブコミュニケーションを活用するためには、多少なりとも知識と練習が必要です。
知識と練習が手軽にできるアプリもあるので、それを試すこともおすすめです。
心理学の専門家が監修しているアプリです。
身体をケアするように、毎日のメンタルケアに最適なアプリです。
GIVE&TAKEを意識する
子どもたちの知識のレベルが上ってきたと感じたら、「GIVE&TAKE」の考え方を取り入れることもおすすめです。
家事は決してボランティアで続けて行けるものではなく、労働だということ。
自分たちができることなのに「与え続けられること」に慣れてしまうことは「テイカー」の考え方でありそれは長い目で見て損であること。
母親も子どもが小さい頃にはギバーであっても、子どもが大きくなった今の状況では消耗してしまうこともあること。
本を手にとってみんなで読むこともよいですね。
家族の中は小さい社会の練習だと考えると子育ての最終総仕上げですね。
それでは「まとめ」いきましょう
母の日、母の誕生日、母が病気の時…家族の無反応さに虚無になる気持ちになるのはどうしてか?ということと、その気持に対処する方法を書いてきました。
自分の期待通りに家族に行動してほしい、自分を大切にしてほしい、こんなに頑張ってきて今も頑張っていることに気付いて認めてほしい。
これらの考えにとらわれると、がっかりすることも多いのです。
家族の行動や態度に自分の幸せを委ねずに自分で自分を幸せにする!と覚悟を決めるときなのかもしれません。
母親が楽しく羽ばたいてゆく姿を見せることも子育ての最終段階のひとつだと思います。
この記事が参考になれば幸いです!