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子どもが「両親の離婚」を周囲の人に話す時【離婚後もパパとママで子どもを育てる〜045】

2024年6月23日

「共同親権」という言葉があまり知られなかった頃。

離婚の時に取り決めたことがあります。

『共同子育て』というものです。

離婚してもパパとママで子どもを育てるということ。

週の数日は、ママの家ですごす。

残りの数日は、パパの家ですごす。

子どもたちの行事やお祝い事は、二人で参加する、

子供たちの将来のことを共有する、などなど。

2012 年8月、そんな取り決めをました。

今現在も進行中です。

日本でようやく共同親権が基本なってくることを受けて、

共同子育てについて経験したからこそ書けることを書いていこうと思います。

子供が自分の友人に親の離婚のことをどう話すのか?
離婚することによって、子供は友人関係で不利益なことがあるのではないかと思うシングルマザーの人も多いのではないでしょうか?

私はそうでした。

離婚という決断をしたことによって、親の立場として子供の利益を最優先に考えフォローはできるものの
子供が生きる世界で発生することをコントロールすることはできません。

ここでは、成人した子供との会話から感じた離婚した親を持つ子供のリアルと行動していてよかったと実感したことを書いてみます。

離婚した子供の気持ちの一例でもいいから知りたい
子供と話し合えるようになるにはどう子供に接していけばばよいのか
子供の利益を最大限にするにはどのような行動をとればいいのか

悩み迷うシングルマザーの方の参考になれば幸いです。

「死」も考えた、と言われた

これを娘から、最初に言われました。
親がとった行動で我が子にこう思わせてしまったことは、絶対に知っておかなければならない事実です。
自分が受けたショックは心のうちにとどめて、心からの反省と謝罪、ちゃんと直面させてもろてありがたい、そう本人に伝えました。

娘にとっては、姓名が変わって周囲の人に離婚したことがバレるのが本当に嫌だったと話してくれました。
当時もそのことで話し合いをし、姓名(父方の方のまま)を変えたくないと言っていました。

けれど私は苗字は変えて欲しかった。自分のエゴももちろんありました。
子どもと親の姓が違うと、後々発生する諸々の手続きなどに手間がかかることが多くならないかという懸念もありました。

私は娘の意見を尊重したいと思いつつも、娘には折衷案をお願いしました。
つまり、離婚とはいわず、祖父母の家名存続のため姓名を変更したということにし、全ては「親の勝手で」と話すように伝えました。
そうは言っても、苗字が変わったことをからかわれるのが本当に嫌だったと話してくれました。
でも、苗字が変わって1年すぎても言ってくる人に対しては侮蔑を念をもった。
そうも話していました。

それを聞いた時、娘は自分が付き合ってゆく人を判断する基準のひとつを持ったのかな、そう思いました。

仲の良い友達にも言わなかった

それこそ離婚当初(娘が小学校5年生)から中学生の頃までは今から思い返せば喧嘩ばかりしていました。
むすめより2歳下の弟である息子からは、「喧嘩ばっかりしてるから一緒の場所にいたくない」と言われるほどです。

後には、本当にママのことが嫌いだった、とも言われた頃です。

その頃、娘はパパの家には自分の部屋があるので友達を呼んでいたのですが、
ママの家には(学区外ということもありましたが)決して友達を呼びませんでした。
友達からの手紙や荷物も全てパパの家に届けてもらっていたという徹底ぶりでした。

それとなく娘に聞くと、友達にも離婚したことは言っていない、いうのは嫌だ、そう言っていました。

中学の頃、同じ部活動の子達ですら直接話さなかったのではないかと考えています。
部内のお母さん達とは仲が良かったので、よく話していましたが、
娘に初彼ができたことも同じ部活動のママ友から聞いたぐらいです。

娘からは、完全に信用されていなかった、そんな小学校高学年・中学生前半時代でした。

初めて娘が両親の離婚を打ち明けたのはつい最近(離婚後10年)、しかも親友だけ

初めて娘が親の離婚のことを話したのは、小学校からの大親友の友達だそうです。
その子と娘の仲良さは知っていましたが、ママの家に初めて来たのは実に大学生になってからです。

娘が18歳、法律的には大人になった頃には、これまでのことはなんだったのか、すっかり様変わりしています。
娘の態度は「ママラブ」「自己肯定感、ヤバいほど高い」「喧嘩してもすぐに仲直りするようになったね」「彼氏の情報は筒抜け」
そんな関係です。

娘との関係が気楽に楽しくなった要因はおそらくひとつ。

母親の私が、自分自身のことを大切にすることができているから。
娘が変わったのではなく、私が変わったことが大きいと実感しています。

完全版 鏡の法則 完全版 [ 野口 嘉則 ]
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なぜ自分自身を大切にすると、自分の周りの関係が変わるのか?野口嘉則さん著作の「鏡の法則」がわかりやすく、読みやすい本だと思います。
自分の心の中の状態が、周囲の出来事として出てくる。
私の場合で言うと、自分が自分自身を認めない、大切にできない、本当に嫌い(好きの気持ちに気づいていられない)。
その心の現象が、娘の態度に見事に出ていたと言うことです。

カウンセリングを受けることにより、多くのビリーフ(子供の頃にあった出来事に対して自分を守るために決めたこと)を今の自分に必要なものを選びなおしました。
その結果、自分自身を許し、自分を認め、自分に対して大好きと言う気持ちに気づけました。
離婚から10年近くかかりましたが、娘がようやく話せる心情になったことにはホッとしました。

そして、特にお金に関しては「なんとかする!」と言う強い気持ちを持てました。
お金の問題は強く心のこととリンクしています。

それまで、娘や息子に「高校も大学も公立や国公立しか出せないからね」と口すっぱく言っていました。
ところが、現状は娘も息子も私立高校、私立大学に通っています。
いや、厳しいです。経済的に。ほんまに。ですが、母子家庭の経済状況を理由に、子ども達の挑戦を諦めさせたくない。
その私の強い気持ちや背中を子ども達がみたことで、互いの関係も良くなった気がします。

彼にいうのも少しためらう(ぎくしゃくしちゃう…?)

娘が好きで付き合うようになった彼氏。相手との価値観の合う合わない部分を擦り合わせて晴れて付き合うことになったと思います。
その価値観のすり合わせに、母子家庭の要素を加えてしまったことにも子どもが大きくなってから気づきました。

娘が選んだ相手が母子家庭で育った子どもに対して思い込みや娘と違いすぎる価値観、腫れ物に扱うような態度になる可能性もあります。
その点でも娘に余計な負荷を与えてしまったようで「あああっ」と思いました。

結婚の話まででると、さらに母子家庭で育ったことによるハンデの可能性もでてくるな〜とぼんやり考えてしまいました。
うちは共同子育て(共同親権)を行い、おそらく現段階の日本では、珍しい形の母子家庭です。

子どもの養育上、その方法はとても良かったなとは思いますが、周囲からはわからない部分です。
法律上で、共同親権が決まりそれが当たり前になれば、母子家庭で育ったという周囲からの見る目は変わってゆくのではないかなと思います。

母子家庭に偏見を持つ人とは価値観が違うかもしれない

これは娘の言葉です。メインの親権者で安心安全を実感し、もう片親とも自分の意思で会いに行けるという環境は、娘に世間一般の母子家庭のイメージの幅を持たせたのかもしれません。
母子家庭でも世間一般とはかけ離れたパターンもある。
親が離婚していても、互いに関係を保てる。子どものお祝いやイベントは一緒にしてくれる。
お互いが大人の対応が可能なら、母は子ども達のために離婚後も元夫の実家へも訪問して祖父母にに会えるようにしてくれる。

上記以外にも、娘は私の行動を友達に話すと、友達からは「そんなお母さん珍しい!」と驚かれることが多いそう。
レアキャラらしいです。

つまりは、娘はより広い視野をもつ価値観の人と関係を築いてゆくことを希望し、自分も自らの価値観で人を判断しない、そんな人間に成長したのかなと思います。

まとめ

子どもにとって両親離婚は、通常ダメージを強く残してしまうことは、頭では理解していました。が娘と会話して初めて、自分が考えている以上に辛かった出来事なのだと実感しました。
それを話してくれた娘に感謝です。そして、その話を聞いて離婚してから今までを振り返り、自分の子ども達に対する気持ちや行動は方向性も間違いでなかった気がしました。

いまのところ、ここまで深い話は娘とだけです。女同士のきやすさもあるでしょう。そうなると、息子の気持ちはどうなのか?
なかなか難しいとは思いますが、息子とも深いところまで言語化して話せたらなぁと思っています。

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