「共同親権」という言葉があまり知られなかった頃。
離婚の時に取り決めたことがあります。
『共同子育て』というものです。
離婚してもパパとママで子どもを育てるということ。
週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。
子どもたちの行事やお祝い事は、二人で参加する、
子供たちの将来のことを共有する、などなど。
2012 年8月、そんな取り決めをました。
今現在も進行中です。
日本でようやく共同親権が基本なってくることを受けて、
共同子育てについて経験したからこそ書けることを書いていこうと思います。
離婚後、週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。
離婚するときにそんな取り決めをして
7年たった今現在も進行中(2019年3月現在)。
良いこと難しいことをこまごま書いてみてる。
ファイナンシャルプランナーに、
今後の相談をした時のこと。
その頃の仕事は、
正社員ではあったけれども、
昇給は5年の間で、合計3000円ほど。
月収は、手取りで20万弱程度だった。
ボーナス、半月分が出れば良い方、
でない時もあり。
しかも。
鶴の一声で、
数十年勤務していた人でも、
突然自主退社を促されるような、
解雇者がバンバン出るような職場だった。
そのうち辞める、と決めていた時点で、
私はそのファイナンシャルプランナーの人にとって、
相談しづらい相手だっただろうなとは思うけど。
その人曰く、
子どもたちの大学までの教育費が、
ちゃんと捻出できるか?
の私の問いに対しての答えはこうだった。
子どもたちがすべて国公立で、
大学でも奨学金を受けるのであれば、
見通しはある。
と。
んー。
人生、
思い通りに行くわけがない、
と言うのが今の私の状況。
ただ、いけるよ!
という自分以外の言葉は、
次のステージにいくための、
背中を押すきっかけにはなる。
少なくとも、細くてもいける道があるのだ、
ということだからね。
選択肢はひとつではない。